「ブレードランナー2049」

ブレードランナー度:★★★★★
悲恋度:★★★★★

分類:サイバーパンク
内容:人造人間の悲哀


※ネタバレ注意
この感想は映画「ブレードランナー」および「ブレードランナー2049」についてのネタバレを含んでいます。


レプリカントとAIの「異種族間悲恋モノ」

「ブレードランナー2049」は、「人造人間」「アイデンティティ」「人工知能」「被創造物の自由意志」など様々なテーマを持つSFの傑作だが、今回は「異種族」の「恋愛モノ」として2049を語ってみたいと思う。

2049の感想を色々と読んでいると、Kのことを「二次元嫁に恋するぼっちオタク」というネタをよく見かける。
…確かにその通りではあるのだが、AIをレプリカントと同じ「人間による被創造物」であると考えると、「被創造物」同士の異種族恋愛モノとして読めるのではないだろうか。

前作では人間とレプリカントの異種族恋愛が描かれていた

(※デッカード=レプリカント説は承知の上で、ここではあえてデッカードを人間として扱っています)

前作「ブレードランナー」では、デッカードとレイチェルが駆け落ちするシーンで幕を閉じる。
人間であるデッカードと、レプリカントであるレイチェル。
異なる種族である二人の、叶うはずのない悲恋を描いているともとれる。

そして、今作ではレプリカントのKと、AIのジョイという異種族の叶うはずのない悲恋が描かれる。
自分は安易に恋愛要素を入れてくる映画は好きではないが、このブレードランナーシリーズで描かれる「人間とレプリカント」あるいは「レプリカントとAI」という異種族の恋愛は、悲恋という属性も相まって大変好ましく感じた。

映画史上最高に美しく、いじらしい「ラブシーン」

「セックスだけが愛じゃねえぜ」が口癖の自分だが(え?)、今回のラブシーンは涙を禁じ得なかった。
肉体を持たないがためにKと触れ合えないジョイは、肉体を持っている娼婦のレプリカントに激しく嫉妬しているはずなのだ。
しかし、彼女は健気にも嫉妬の対象である娼婦のマリエットとシンクロすることで、Kと触れ合う。

ここで注目すべきなのは、ジョイ自身に「触れている」「触れられている」という感覚のフィードバックは無いということだ。
マリエットとジョイのシンクロが完璧でないことがそれを示している。
嫉妬の対象である娼婦とシンクロするという心理的にかなりの痛みを伴う行為は、全てKのためだったのだ。
なんて健気でいじらしいのだろうか。

余談:ジョイはただのプログラムなのか?

「ジョイはただのAI、ただのプログラム」
「レプリカント(アンドロイド)もただのロボット」
「だから死んでも別に何とも思わない」

たまにこういう意見を見るのだが、こういうふうに考えている人たちは人間のことを一体何だと思っているのだろうか?
もしジョイのようなAIがただのプログラムならば、人間も脳内物質と電気信号で動く機械人形に過ぎないのではないか。

ジョイがただのプログラム通りに動くAIではないといえる象徴的なシーンがある。
Kに対して「ジョー」という名前を与えるシーンだ。
Kの出生の秘密を知ったジョイは、Kに新しい名前が必要だと考える。
もしジョイがただのプログラムでしかないのならば、KのことはKと呼び続けるだろう。

これもプログラムの産物だというのなら、人間だって「生理的欲求」というプログラム通りに動く肉ロボットに過ぎない。

総評:95点

SF映画の金字塔「ブレードランナー」の続編ということで、かなり厳しい目で見られることとなった「ブレードランナー2049」だが、自分は素晴らしい出来だったと思う。
前作の内容を壊さず、綺麗に話を繋げ、なおかつ根幹となるテーマ「人工の生命(レプリカント&AI)のアイデンティティと悲哀」を見事に描いた。

5点減点としたのは、ラストシーンをKが空を見上げるカットで締めて欲しかったからだ。
他の方の感想でも同様の意見を見かけたが、デッカードのシーンで終えてしまうと、デッカードの物語になってしまう。
これだけが惜しい。

だが、それ以外は映像美もストーリーも文句なしの出来。
まぎれもない傑作と言える。